秩父の寺社

秩父神社

秩父地方の総鎮守で、徳川家康が再建した権現造りの本殿は埼玉県の文化財に指定されています。左甚五郎作の「つなぎの龍」や「子育ての虎」の極彩色の彫刻も有名です。

宝登山神社

日本武尊(やまとたけるのみこと)が神武天皇・山の神・火の神を祀ったのが起源と伝わる神社。江戸後期に創建された社殿は、権現造りで荘厳な雰囲気に満ちています。神社のそばの山麓駅から山頂までは、宝登山ロープウェイで秩父連山、秩父盆地の景観を楽しみながら約5分。山頂には、宝登山梅百花園・ロウバイ園、宝登山小動物公園、宝登山神社奥宮があります。

清雲寺

臨済宗建長寺派の古刹。境内では、埼玉県の天然記念物に指定されている樹齢約600年のしだれざくらをはじめとする約30本ものさくらが、毎年見事な花を咲かせます。

三峯神社

三峰山の中心で、関東の山岳信仰の霊場として知られる神社。境内には山犬の像が立ち、豪華な装飾が施された本殿のほか、鐘楼や随身門、遥拝殿、日本武尊(やまとたけるのみこと)の像などがあります。神社の一角には、秩父宮記念三峯山博物館もあり、秩父宮家御下賜品や神社に伝わる宝物、修験者の山岳信仰の資料などが展示されています。

秩父札所34ヵ所

秩父札所34ヵ所は、1番四萬部寺から34番水潜寺まで全行程約100キロ。
秩父市を中心に山間に点在し、霊場を結ぶ巡礼道ではのどかな田園風景や季節の草花、素朴な石仏などを楽しむことができます。札所の巡り方や期間などは決まっていません。信心だけでなく、健康や観光のためのハイキングとしても楽しめます。また、観光名所や温泉、そばなどの名物豊富な秩父の魅力にも触れながら、秩父札所巡礼の旅をお楽しみください。

四萬部寺(札所1番)

四萬部寺の名のおこりは、988(永延2)年性空上人の弟子の幻通が、遺命によってこの地を訪れ四万部の仏典を供養のために読誦し経塚を築いたことによると聞く。山門をくぐれば正面が朱塗りの本堂で県文化財となっている。。

真福寺(札所2番)

標高665mの高篠山の中腹にある。室町時代の作とされているご本尊は、はじめ鬼丸の洞窟に祀られ、霊験のある観音さまであった。水害を受けたのが長亨の頃で、現在は古堂と呼ばれるところに奉祀されている。

常泉寺(札所3番)

田園の中の参道から正面に望まれる常泉寺の本堂は、近づくにしたがって大きな瓦葺の屋根を見せる。かって常泉寺は薬師如来を本尊とする本堂を火災で全焼し、1870(明治3)年に十五番札所蔵福寺が廃寺となり薬師堂を移築した。

金昌寺(札所4番)

大わらじがかけられた仁王門をくぐれば、どこを見ても石仏だらけである。総数1319体といわれる石仏で埋め尽くされている。有名な子育て観音像は、お堂の回廊右手にあり膝に抱く赤子に豊かな乳房をふくませる姿が愛らしい。

語歌堂(札所5番)

慈覚大師の作と伝えられている准胝観音について「秩父三十四札所考」では、「日本百観音霊場」の中で准胝観音を本尊とするのは聖宝が開いた西国第十一番上醍醐とここの語歌堂だけであると河野善太郎氏は述べている。

卜雲寺(札所6番)

卜雲寺の開基は嶋田与左衛門という村人で位牌が本堂に現存し、卜雲源心庵主がその法号とされている。寺宝に山姥(やまんば)の歯と荻野堂縁起絵巻一巻が伝えられている。稲荷大明神は、本堂の左手にあり五穀豊穣の神である。

法長寺(札所7番)

この本堂は秩父三十四ヵ所の中で一番大きな建物である。牛伏堂の由来にはいろいろの言い伝えがあるが、中でも平将門にまつわる伝承は、その後に鎌倉幕府の政権に結集する東国武士の心のあり方を伝えるとして、今も注目される。

西善寺(札所8番)

本堂中央には恵心僧都御作と伝えられる十一面観音が安置されているが、往時は別に四間半四方・向拝付きのお堂があり、そこに祀られていたが明治初年の廃仏毀釈によりお堂は破壊されたという。

明智寺(札所9番)

明智寺は畑の中のT字路の角にある。普通の農家の庭の道路に面した側の生垣を取り外したような具合である。お堂の屋根もトタン葺で気安い。この寺は、子育て観音として有名。観音堂の境内には女性の願いを納めたふみ塚がある。

大慈寺(札所10番)

女性の参詣者やこども連れが多いのは、子育て、安産の守り本尊として信仰されている。門前の地蔵尊のもの静かな坐像が静かな気持ちにさせてくれる。ここは三間の中の一間を通路とした楼門で、左右には木彫乾漆の仁王像がある。

常楽寺(札所11番)

寺伝では常楽寺は1736~1740(天文)年間に門海上人によって開かれたとされている。上人は重病になり本尊に祈念したところ、うそのように快癒した。以来、常楽寺の十一面観音は、病気平癒、長寿祈願の本尊として信仰されている。

野坂寺(札所12番)

野坂堂は、子安観音とも呼ばれた聖観音を祀った独立の観音堂で、これとは別に石造地蔵を祀った野坂寺があったと伝えられている。1741(寛保元)年野坂寺六世仏海和尚のとき、野坂寺と観音堂とが合併して現在石造地蔵を祀る地が奥の院とされた。

慈眼寺(札所13番)

正面の本堂は三間四面、唐破風の流れ向拝をつけ、彫刻や格天井で飾られている。小型だが華やかで無駄がなく均整がとれている。境内右手の土蔵造りの経蔵内には、六角形の輪堂と十三権者像が祀られている。

今宮坊(札所14番)

今宮坊の歴史は秩父札所の歴史である。観音堂は古くから八大権現社の社地内に祀られ、今宮坊が八大権現社と観音堂と両方の別当を兼ねていたが神仏分離と修験道禁止によって神社と観音堂が分離された。

少林寺(札所15番)

明治末年に建てられたという少林寺の本堂は、前面に千鳥破風の向拝をつけた入母屋造りの瓦葺きで、一風変わった建物である。この本堂が建てられたのは先々代の道三和尚の時で、当時はずいぶんハイカラな建物だった。

西光寺(札所16番)

山門をくぐると、正面が本堂も兼ねた観音堂で1710(宝永7)年の建立ということである。ずいぶん大きな彫刻があり三間に分かれている。中央は入滅の姿の釈迦を中心にして、天女やさまざまな動物たちが刻されている。

定林寺(札所17番)

ここは四面四間の簡素で均整のとれたお堂で、内陣は念仏回廊が回っている。
本尊は十一面観音立像で高さ五十五糎寄木造り玉眼入りの見事な作。本堂脇にある鐘桜には、西国、板東、秩父百観音の本尊が浮彫りにされている。

神門寺(札所18番)

この札所はもと修験寺で神戸山長生院と伝い、今宮坊に属して栄えた。お堂は宝形堂瓦葺で三間四面、小さいながら整った建築であり、当時地方の名匠藤田家の末孫藤田若狭の手になるもの。勾欄つきの回廊には擬宝珠がある。

龍石寺(札所19番)

参道を入ると六地蔵像があり、地蔵尊の足元から起伏のある岩盤が地表に露出している。本堂はこの巨大な岩盤の上に建てられ、間口奥行ともに七間半と大きなもので大きくそった宝形屋根に流れ向拝をつけ重々しく堂々としている。

岩之上堂(札所20番)

堂内には宮殿形の厨子があり、観音開きの扉の裏面に日天、月天、風神、雷神とともに観音三十三応身の彫刻があるが、貴重な文化財のはく離を防ぐため、普段は扉が閉められている。乳水地蔵を飲んで乳の出が良くなったと伝う。

観音寺(札所21番)

この堂は通称を矢の堂と称し本尊聖観音の他に数体の仏像がある。1923(大正12)年火災に類焼し、現在のお堂が造られた。焼失前は境内に聖観音立像、百万遍念仏塔、弁財天石塔、芭蕉句碑などがあった。

童子堂(札所22番)

観音堂は三間四面、宝形(方形)造りの建物で外面に多くの彫刻があり、正面の唐戸には風神、雷神、極楽にいる鳥といわれる迦陵頻迦(かりょうびんが)などが一枚の板の表と裏に刻まれた見事な彫刻がある。

音楽寺(札所23番)

寺伝には開創が1412(応永19)年円福寺二世天陽の再興とある。もともとお堂は現在地より上の頂上近くにあり、現在は小堂がある。観音堂は三間四面の吹き寄せ、二重の垂木で向拝はなく、江戸中期の特徴をとどめている。

法泉寺(札所24番)

観音堂の前面が山門の形になっていて、左右に張り出した小部屋に小さい仁王像が厨子に納められている。現存の本尊は坐高約24センチメートル、宗朝風の美しい像で、室町末期の作といわれている。

久昌寺(札所25番)

ここは、別称を御手判寺という。秩父霊場草創の話の発端に性空上人が冥府に招かれ経典一万部を誦したとき、閻魔大王から証文と石の手判をもらったという話しがあり、証文は西国二十四番の中山寺へ手判は久昌寺へ納めたという。

円融寺(札所26番)

岩井堂と呼ばれる観音堂は、山沿いに行った尾根の上の岩場にあるが、本尊ほか寺宝の類は円融寺に納められている。この本堂は、間口八間ほどの大きな建物で、堂内には恵心僧都の作と伝えられる聖観音の立像が安置されている。

大渕寺(札所27番)

聖観音は本堂に安置されているが、もとは背後の山腹にあったとされ、弘法大師作の聖観音を安置した朱塗のお堂であったという月影堂は1919(大正8)年に全焼してしまった。現在の本堂は1922(大正11)年に再建され、その後修築されている。

橋立堂(札所28番)

本堂は高さ65メートルの切り立った岩壁が覆いかぶさったところに縁を回した朱塗のお堂が建っている。江戸中期の建築といわれ、堂内には鎌倉時代の作と伝えられる高さ28センチメートルの馬頭観音は珍しい。

長泉院(札所29番)

大きな石燈篭の間を進むと間口の広い本堂の正面である欄間や格天井には見事なほどに千社礼が貼られている。江戸納札会の貼ったものである。欄間には咲きほこる桜を描いた「法楽和歌」の板額がある。

法雲寺(札所30番)

本尊は内陣の奥まったところの厨子に安置されている。1319(元応元)年建長寺の道隠禅師が唐土より奉持したと伝えられ、唐の玄宗皇帝が楊貴妃の菩提を弔うために自ら彫刻し、不空三蔵が開眼したものとして楊貴妃観音とも呼ぶ。

観音院(札所31番)

山門には台座も加えて4メートルにもなる大きな石の仁王像が納められている。
裏山から採取した石材で造られ、1868(明治元)年に長野の石工・藤森吉弥一寿の奉納である。お堂の後ろは覆いかぶさるような大岩壁で落差60メートルの滝がある。

法性寺(札所32番)

本堂には薬師如来が安置され、観音堂にはここから100メートルほどで1707(宝永4)年の建立とされている。本尊の聖観音は1メートル38センチの立像で行基作と伝えられる。前立には、笠をかぶり舟をこぐ珍しい観音像がある。

菊水寺(札所33番)

参道を行ったところに「正大悲殿」の額を掲げた間口八間、入母屋造りの本堂がある。玄関風の向拝の内部は広い土間で、正面の床は高い。聖観音は一本造り1メートルほどの立像で藤原時代の作。欄間には大きな絵図がある。

水潜寺(札所34番)

お堂の前には日本百観音霊場の砂を集めたお砂踏場がある。本尊は一本造りで室町時代の作と伝えられ、脇侍に西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来と板東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来とが祀られている。

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